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春秋

っていう日経新聞の今日の帯コラムより...

≪写生の時間、木を紫色に塗った小学生がいた。普通は黒か茶。「一番好きな木だから一番好きな色を木にあげた」と言う子に、代理教員はこっそり紙製の金メダルを与えた。「いい成績はあげられないけど先生はこの絵を素晴らしいと思う」との言葉を添えて。
ある歌手のラジオ番組に、代理教員がこの思い出を投稿した。偶然放送を聞いた生徒から教員に届いた手紙には、紙のメダルを首に下げた青年の写真が同封されていた。美大に進学し今は画家の卵。メダルを壁に飾り励みにしてきたそうだ。(さだまさし『本気で言いたいことがある』)≫ -以下略-

小学校の頃、とんでもない教師がいっぱいいた。暴力教師、ヒステリー教師、左翼教師...
でも一番ひどかったのは自分の価値観を押し付ける教師だった。
その「おばはん」はあらゆることを生徒に強要する。
給食の時間中私語は一切禁止だ。
ある時用事があってそのクラスのドアを開けたとき、僕はぎょっとした。何も話さずに黙々と給食を食べる彼らの視線が一斉に僕に注がれたからだ。な、何なんだこいつら!不気味だった。
廊下を歩く時は軍隊のように整然と行進させる。
その姿は刑務所の中を隊列を組んで歩く囚人と変わらない。滑稽なほど一糸乱れぬ行進は、今思えばどこか北の方の国と似ている。
最悪だったのは卒業式の練習の時だ。
音楽の(一応それでも教師だからね)先生だった「おばはん」は何度も何度も僕らに下らない歌を練習させたあげく、「下手な子は歌わないでよろしい。口をパクパクさせてなさい!」とのたまった。これが教育者の言うことだろうか。僕らは馬鹿な小学生だったけど、さずがにこの「おばはん」がまともじゃないことくらいはわかった。こんな「おばはん」が担任だった子供は一体どんな大人になるんだろう。ってマジで心配した。

そんなことを思い返しながら、いい「先生」に出会えた彼のことが少し羨ましかった。でも僕にとってもあの「おばはん」は文字通り反面教師として役にはたったけどね。
あんな大人にだけはなるまいって誓ったもんね~。ま、もうこの世にはいないだろうけど、「おばはん」には是非地獄へ行って欲しいものだ。

※そう言えば、産休代理で来ていた先生はみんないい人ばかりだったな。

by ten2547 | 2006-05-18 22:48