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楽園崩壊~閉ざされた扉を開けるオマジナイは..~

年に何度か、「五番目の人格」に出会うための現実逃避への扉は開かなかった。自分にとってそれは生きていくためになくてはならない時間で、それがあることで現実世界の艱難辛苦も全て帳消しになると信じて「出稼ぎ」にも耐えてきたんだ。
いつもならこの空白を埋めるために、プチ現実逃避という代替を用意するところなのに、身体も心も動かない。この灰色の日常にどっぷり浸かって、うずくまってしまってる。

一つずつ剥がされていく僕という人格は崩壊寸前だ。
今、何をどうすればいいのか全くわからない。
やるべきことをやっていないじゃないか!その声は僕をここから立ち去ることを禁じる。だったらやればいいじゃないか!その声は僕を動かす力にまで強く成長しない。どこかで、言い訳をしている。そういう自分を見ているから、楽園への想いも、「五番目の人格」への憧憬も、ついに行くべき道を見失った。最悪なのは、それを甘んじて受け止めてしまったことだ。

その瞬間、僕は砕け散った。存在意義を見失った。自分を支えているものが崩壊した。
残っているのは、言うに耐えない、見るに忍びない、抜け殻だった。
僕は、死んでしまった。

例えば家族がいて、そんな人間でも頼りにしてくれる幼い命があって、無邪気な笑顔を見れば癒されるのだろうか?
例えば好きな人がいて、たまには泣き言なんか言ってみても、ありふれたコトバで励ましてもらったりすれば元気になれるんだろうか?
例えば友達と馬鹿話でもして乾杯すれば、ダメな自分のこともしばし忘れて、アドレナリンが分泌されたりするんだろうか?
例えば...その先はあまりに未来がないので想像しないことにする。

自分の一番好きなものと好きな時間を銀行に預けているから、いちいち鍵を開けに行かなくてはいけない、というこの図式が問題なんだ。日常と非日常を分けることは気持ちの切り替えをする手段としては有効だけど、区別ができなくなった時に人格が崩壊することが最大の問題だ。でも、日常化することは、それはサラ金を借りるのと同じで、薬物使用と同じで、別の意味で僕という存在が持ちこたえられなくなることだから、擬似体験くらいで済ませておかないと再起不能に陥る。

もっとシンプルに生きたい。
自分としてはそういう生き方をしているつもりでも、今の状況は救いようがなくて、こんなところでこんな仮想空間に向かってどうでもいいことを綴っているしかないことに、全身から気力が失われていく。何もかもどうでもいいとまではいかなくても、大切なものを放棄しているのは事実だろう。何とか維持している日常はものすごく狭い範囲の中でだけ稼動している。

何かを変えなくてはいけない時に来ているんだろう。
全てを変える時が来ているのかもしれない。
ずっと続けていけると思ったことも、続けていたことも、ある日途絶えた瞬間からゼロに戻る。
10年間細々と通っていたスポーツクラブも、毎月会費を払うだけで利用していない。
そして10年間自分を癒しに空を飛んだ楽園も、宇宙の果てまで遠ざかって行った。
何かが終わり、何かが始まる。

そんな転機が何度か訪れることを思い知らされた日-


※だから僕も変わらなくてはならないということ=人生の棚卸しだ。
  ぽむやあくちゃぱいぷらてえとたい きっとんばあん きっとんとう

by ten2547 | 2006-04-29 10:56