繁栄と裕福さの裏側に横たわるもの

街はかつての勢いを取り戻し、新しいビル建設やリニューアル工事のラッシュだ。
人々は豊かになり、きれいな服を着て、高級車に乗り、もうあの頃のステレオタイプなイメージとはかけ離れたライフスタイルを手に入れた。
テレビの投げかける一見現実離れした生活も、もう普通のことになっているのかもしれない。

その傍らで依然変わらない世界がある。
貧しさなどという言葉ではとても表現できないどん底の世界だ。
どんよりとくすんだ色をしている。
地面から手を伸ばすような、文字通り物乞いに等しい、ただ明日を生きる、今日を生き延びるためだけに存在する生命体がうごめく世界。
これほどの差が、当たり前のように隣り合わせている。豪華プールつきのコンドミニアムのとなりに、トタンで作った小屋に住まう人々..ゴミと異臭の中で想像を絶する毎日と想像するが、そこにいる人々は案外平気なのかもしれない。ただあるがままの現実を受け入れるという思想のせいなのか、脱出する術も気力も希望も救済も何も望まないことでかえって淡々と暮らしていけるのかもしれない。でも目の前を好奇の視線が毎日毎日通り過ぎる時、彼らはまるで動物園の檻の中にいる獣のような沈んだ気分にはならないのだろうか。

誰が彼らを救うのか?
あれは不法占拠だろう。前はあんな小屋はなかったはずだ。
おしゃれなビーチで、退屈と人生のご褒美をむさぼる者達をかえって冷ややかな視線で見ているのかもしれない。見られているのは僕たちか..。

それは結局「たかり」だろう。
一体彼らはどうやってメシを食っているのかと思ったら、なるほど、ああやって食い物にありつくのか。それは働かずして生きる知恵ともいえるし、彼らが得た唯一の生きる手段ともいえるが、結局は何の努力もしないでただ怠惰に毎日を送っているどうしようもない輩とくくってしまうのか。そういう自分はどうなんだ?そんな彼らに何の手も差し延べず、遠くから面白おかしく眺めて通り過ぎるだけじゃないか。関わることは死ぬまでない。なんて言い切ってしまう。

自らの喜捨は尊いと言えるか。
恵まれない人々に手を差し延べる方法はいくらでもある。自分の意志でそれを行うなら、立派な社会的行為と言われるだろう。じゃ、自分の足元にすがりつく明日のない身を足蹴にすることは犯罪だろうか?何で自分が助けなくちゃいけないんだ。それをするのは自分じゃない誰かだ。「きっと誰かが助けてくれるよ」「誰かってダレ??」「・・・・・・・」

最後は自分の身を守ることだけに腐心する救いようのない偽善者として「彼の手」を踏みつけた。思いっきり。手が砕けるまで。何も聞こえない。何も感じない。ただ、そうした。

人は生まれながらにして不公平だ。
社会が繁栄すればするほど、地を這う人が増えていく。見捨てられた弱者が血の涙を流しながら、自分の肉体を切り売りして、残飯をあさる。

ただ、生きるためだけに。
生きるためというより、死なないためにかも。

※裏を見ないと何もわからないが、本当に見てしまうと余計わからない。
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by ten2547 | 2005-08-16 23:12 | 旅行