人の交わるところ、良き事ばかりとは限らず。

現実逃避もほどほどにしないと、結局、場所と形を変えただけで、新たなゲンジツに直面する、ということになる。観光地を巡って写真を撮って、きれいなレストランで食事をし、大きなバスの窓から市井の人々を見下ろしているならば、立体映画を観ているような感じで、洋服も汚れることなく、お腹を下すことも、誰かと喧嘩をすることもなく過ごすことが出来るだろう。
「ジャイ ローン マイ ディ」社会的地位のある人や、裕福な人は経済的にも精神的にも余裕がある分、泰然として、決して人前で激昂したりすることなどないよう求められる。セコイ考えやケチも恥ずかしいこととされる。恵まれない者に対しては慈悲の心で接し、喜捨を尊び、その身分に応じた振る舞いをせよ、などと一介の旅行者に言われても戸惑うばかりだ。
外国を旅行する人は、自分でいくら否定しても、その行為が叶う事だけで「金持ち」に分類される。自国に帰れば身のほど知るわが身であっても、その国の1ヶ月の給料を1回の両替で得てしまうような奴が「貧しい」はずがない。ところ変われば、自分という存在(人格も含め)さえ、違うものとして認識しなければ予期せぬトラブルに巻き込まれてしまう。人が介在すれば、人と関われば、その可能性は大きくなる。そしてそれは日常そのものの風景に他ならない。
果たしてそのピンチをどうやって脱するか?コトバと自己の存在意義のギャップに戸惑いつつ、一晩かけてその答えを見つけようと試みたけど、僕のような小人にはとてもムリなことだ。

逃げ出したい。-

こころからそう思った。
日常の退屈から逃げてきたくせに、一番居心地のいい自分の城に帰りたかった。そこにいれば安心だ。何もないから何も起こらない。観光バスの冷房の効いた車内から、フンって見下ろしていればいいんだから。それが嫌で、自分の足で歩きたくて、汚い屋台の裏は見ないようにしてソバを啜った自分を、自分で否定していた。

欲望の果てに、僕は結局人を傷つけていく。-

だからどうしたと開き直ってみたものの、自分の複雑な気持を外国語で表現することなどとても不可能だから、匙を投げた。投げつけた。ジャイ ローンで。

僕は一体何がしたいのだろう?-

10年経っても何も得られない。全く進歩なし。その間に様々なものが変化した。僕はいつの間にか「古い人」になっている。何もかも面倒になって、再び逃げ出した。
現実逃避の先から逃げ出す場所など在りはしない。僕は行き先を見失った。

愛してるかと聞かれてなんて答えればいいのだろう?-

そんなことが人生の中で起きるなんて想定もしていないから、答えどころかその意味さえも理解できない。何だ?愛って?

疲れた。憑かれた。突かれた。浸かれた。衝かれた。そしてツカレタ..。
楽しそうに旅の思い出を語り合うシアワセそうな家族の中で、僕はエイリアンのように突っ立ってた。帰りの飛行機が落ちないように祈っていることだけが、彼らよりも臆病な人間であることを証明していたけど、もう全身汚れた肉塊で、汚物そのものだった。

※それでも明日からは再び善良な市民のフリをして日常に埋もれるんだな。
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by ten2547 | 2005-08-15 14:10 | 旅行